Letter from the Editor-in-Chief
はじめての科学論文
若手の研究者であっても,実験や研究が嫌いな人はいないでしょう!でも,その研究成果をまとめて「論文を書く」となったら,躊躇する人も少なくないと思われます.そこで本稿は,初めて科学論文を書く若手研究者のために,少しでも役立つような道しるべを述べるものです.とは言え,教科書的な口調では,おそらく読む気もしなくなるかと思われたので,若手研究者とその指導者を主人公とした,会話調の物語としました.もちろん,登場人物や研究施設名は架空のものです.
なお,最初にお断りしておきますが,いわゆる“論文の書き方”は,唯一「これが正しい!」というものがあるわけではありません.本稿をお読みになったベテラン研究者の中には,「それはおかしい!?」とのご意見もあろうかと思いますが,「そういうやり方もあるかも?」と,広い心で受け止めてもらえると幸いです.また,ご意見も遠慮なく頂戴したいと思っております.
【プロローグ】
では,主人公の紹介です.早乙女ヒカル,CSI-JAPANという犯罪捜査における鑑定に関連した業務を行う研究所に勤めてまだ3年足らずの若手女性研究者です.真面目で素直な性格ですが,やや天然なところがあります.
対する相棒(?)の指導者は,藤堂京一郎.CSI-JAPANに勤務して10年以上になる,ベテランです.若いうちに学位を取得し,アメリカ政府の科学捜査研究所に留学経験もあります.自身の研究能力は高いのですが,天然の後輩育成にはちょっと苦労をしている,という設定です.
Part T 緒言とタイトルの書き方
早乙女ヒカルは3年目になりますが,今年は科学鑑定に関して初めての学会発表を済ませており,出来ればこの研究内容をもとに論文を投稿したいと思っています.しかし,科学論文のようなものは,大学時代に書いた卒論くらいであり,プロフェッショナルな研究者で構成される学会誌への論文投稿は,そのやり方もよく分からない上に,自分が行ってきた研究内容が論文になるのかどうか自信がないことから,どうしたらいいか悩んでいます.休憩室でコーヒーを飲んでいると,ちょうどその時,先輩である藤堂京一郎に声をかけられました.
「おい,どうした?なんか落ち込んでいるみたいだが,鑑定を失敗でもしたのか?」
「違いますよ!ルーチンはいつも通り問題なく処理しています.ただ,この前,法科学技術学会で発表した研究のことで,ちょっと悩んでいるんです...」
「あれは,デビュー戦としては,まずまずだったじゃないか?結構,関心を持ってもらえ,フロアからの質問にもそこそこ答えていたので,悩むようなことはなかったろうに?」
「はい,たしかに学会発表は,先輩たちの温かい(厳しい?)ご指導のおかげで,どうにか上手くできて,少し自信もつきました.でも,次のステップとして,あの研究内容を法科学技術学会誌に投稿したいと思っているのですが,どうしたらいいか,全くわからないので悩んでいるんです.そうだ先輩!ちょうど良いタイミングですね!是非,ご教授ください!」
「研究論文を執筆するというのは,そう簡単なものでもないし,他人から聞いて書けるようになるものでもないが,まあ,可愛い後輩の頼みとあらば,基本的なところをレクチャーしてあげるよ.でも,論文を書くという行為も,実験をやるのと一緒で,「苦労しても自分の力でやる」,という心構えを持たないとね! 決して,適当に書いて,あとは先輩たちに校閲してもらおう,などと甘い考えは持たないことだ!いいかな!?」
「ラジャー!ありがとうございます.宜しくお願いします!」
「では,まずは論文の“構成”から説明しよう!雑誌に依って投稿に関する規定は異なるけど,基本的に論文は,@タイトル,A要旨(英文アブストラクトも含む),B緒言,C実験方法,D結果・考察,E引用文献,から構成されているんだ.もちろん,その構成順序は雑誌によって異なる場合もあるけどね.他にも細かいところでは,F謝辞やG利益相反,H研究倫理に基づいた研究であることの宣言,などもあるけど,F以降のことは今回は省いて,論文として実質的に重要な@〜Eについて説明しよう!
まず“タイトル”は,“緒言”が書き終わってからでも,または“結果・考察”が済んでからでも構わない.というか,通常,読者はまずは論文タイトルを見て,この論文を読もうかどうか判断するから,ある程度,論文全体が仕上がってから,じっくり考えてタイトルをつけた方が良いよ.だから,学会発表の時に付けたタイトルと全く同じである必要はない.もちろん,論文を書き始める前に“仮題”として学会発表の時のタイトルをつけるのは構わないけどね.
また,“要旨”だけど,これも学会発表の時の“要旨”があったとしても,それをそのまま使うのではなく,論文全体(上記B〜D)が仕上がってから,改めて高所から論文全体を見つめなおして書いた方が良いと思うね.論文の要旨もタイトルと同様に,オンライン検索でも読めるケースが多いから,出来るだけ“本文”を読んでもらえるような魅力ある内容にしないとね!もっとも,投稿しようと考えている雑誌をよく読めば,ある程度,書き方のパターンが見えてくると思うよ.まあ,総論的なことばかりだと実感がわかないだろうから,もう少し具体的にいうと,まずは『何についてどんな研究を行ったか』を述べること.これは必須だよ.実際にはほぼタイトルに近い内容だね.
次にその『目的』をできるだけ簡潔に述べる.でも,これに関連した研究背景などは,あまり詳しく書く必要はない.それについては本文の“緒言”で述べるから.要旨は本文の“エッセンス”だから,読者が知りたがっている(だろう)こと,つまり“読者目線”を念頭に置いた方が良い.ややもすると,執筆者は自分が行ってきた研究内容だから,“あれも知らせたい,これも知らせたい・・・”という誘惑があって,とりとめのない内容になってしまいがちだから要注意だね.続いて実際に行った『実験方法の概略と結果』を述べる.その際,分析方法の構築に関するような場合には,分析法バリデーションの結果についても記載するのが一般的だね.ただし,その際に詳細な考察を付け加える必要はない.得られた結果(数値)を淡々と述べれば良い.また,実試料分析などに応用した場合には,その結果も同様に述べる.そして最後に『研究全体としての成果や意義』を付け加えると,インパクトがある要旨になるからこれを忘れないこと.
また,英文アブストラクトについては,その書き方として,和文要旨に依存することなく,英文を独自に(?)書く人もいるけど,初心者は,まずは和文要旨をしっかりと書いて,それを英訳することをお勧めするよ.ネイティブスピーカーではない我々日本人は,所詮,英文としての細かいニュアンスまでを意識して書くことはほとんどできないから,初心者は初めのうちは無理をしない方が良い.むしろ気をつけなくてはいけないのは,英文要旨を独立して書いた場合に,和文要旨に記載されている内容が英文にはない,あるいはその逆のケース.たまに投稿論文の査読をすると見かけることがあるけど,それは良くない.互いに直訳でなくても良いけど,内容的には一致させるようにね.
では次に『緒言』を書いてみよう.まず,先日学会発表した時の要旨と発表スライドを見せてくれ.実験が完了しているのなら,その2点があれば,論文も半分くらいはできたようなものなんだよ.なぜなら,研究成果のエッセンスが要旨で示されていて,論文に必要な図表の叩き台は,スライドにあるのだから.」
(早乙女が出してきた要旨とスライドを見ながら・・・)
「ふむふむ,要旨はそこそこ書けているじゃないか!これなら話は結構早いよ.まずは,これをベースにして論文を書いてみよう.ただし,一度に全てを書こうとすると”目的地”を見失うこともあるから,まずは“緒言”だけで良い.というよりも,この緒言が論文執筆で一番大切なんだ.ここを上手く書けるかどうかで,その論文のその後の執筆はもちろん,でき上がった時の論文としての価値にも大きく関わってくるんだ.実際,僕が論文を書くときも,この“緒言”が最も苦労するところなんだ!」
「へぇ〜,先輩でも苦労することがあるんですね!?」
「(・・・!)じゃあ,もう少し具体的なことを話そう.今回,早乙女が取り組んだ研究は,『新たに指定された麻薬成分を対象とした生体試料分析法の構築』で,この薬物は,たしか最近になって薬物乱用を目的にアンダーグラウンドで出回り始めたという代物だよね? だとすると,緒言に書く情報として必要なのは,まずは,『その分析対象物質がどういうものか?』 を述べ,次に,『その物質を取り巻く背景』,例えば元々臨床用途に使われていた場合,その有用性や副作用などを挙げ,また,乱用されるに至った経緯や乱用によってもたらされた社会的な問題点などを,できる限り挙げると良いよ.後で推敲する際に不要になった時に削除するのは楽だけど,逆に研究背景の内容がしょぼくて,後から付け足すようなことになったら,結構たいへんだよ.付け足した内容によっては,元々の論旨がずれる恐れもあるからね.
次に必要なことは,その物質に対して『類似の研究がどの程度やられているか,進んでいるのか』を,できる限り漏らさずに載せること.ここで注意すべきことは,「漏らさずに・・・」とは言っても,ここで述べる研究に関連していて重要性が高いものや,比較的最近の報告例を選択する必要があるんだ.もちろん研究背景として歴史的な流れから,古い方法論を紹介することは差し支えない.逆に絶対にやってはいけないことは,自分がやってきた研究とかなり近いようなものをあえて外したりしないこと!もちろん,気持ち的には理解もできるよ.だって,自分が投稿しようと思っていた研究が既に他人によって報告されていたら,その研究内容の新規性はないから,仮に投稿しても受理されないかも???と,誰でも考えるからね!
でも,そのようなことに出くわしても,決して諦めてはいけないよ.その第三者の論文をよく読むんだ.同じようなことをしていても,意外と細部では異なっていたり,自分の研究成果の方が少しでも上回っている点を見つけられることも良くあるからね.そのような場合には,原著は無理でもノートや技術報告として投稿可能なこともあるから,決して諦めてはいけないよ.つまり,論文を投稿する際には,その研究成果に応じて論文の種類を決めるということも大事なことだよ.新規性が高く,且つオリジナリティが高ければ,もちろん原著にチャレンジして良いし,オリジナリティがやや低そうならノートか技術報告で,また研究としての価値は低くても,その分野の研究者にとって有用な情報であれば,資料というのも十分に“有り”だよ.
ちなみに,研究者の中には,「私は原著以外は投稿したことがない」と,自慢げにいう人もいるけど,まあ,確かにそれ自体はそれなりに評価できるけど,ただ,論文の価値は,原著やノートなどの種類で決まるわけではないからね.この件はまた機会があったら話すことにするよ.
さて,話を戻すと,緒言の最後に書くのは,上述した問題点を克服するために,『本研究では,どのような戦略をたてたか?』,『それによって得られる成果はなにか?』また,『どのようなメリットをもたらすか?』,といったことに触れておくんだ.要は,他の研究者がこの緒言を読んで,“面白そうなアイディアで進められた研究みたいだから,是非,最後まで読んでみよう!”という気持ちを抱かせるような内容に仕上げられたら,緒言として二重丸だね!ここまで一気に説明してしまったけど,何か質問はあるかい?」
「藤堂先輩!何となくですが分かって来ました.ようするに,テレビの新番組で良くやる“番宣”のように,“この論文は面白くて読む価値があるぞ!読まないと損するぞ”・・・的な内容にする,ってことですか?」
「(・・・)うん,まあ,当たらずとも遠からず,と言ったところだね.ただし,読者に興味を持ってもらうように書くのは良いことだけど,ありもしないことをことさら強調して,大風呂敷を広げるようなことは慎まなければいけないよ!あくまで事実に基づいて,そこから論理的に演繹できるものでなくてはいけないんだ.まあ,実際には多少のスパイスを効かせることもあるけどね.ともあれ,まずは叩き台でいいから,緒言を書いてごらん? 学会発表の要旨は既にあるのだから,それをベースにして,さっき述べたことを肉付けすればだいたいOKだよ.
では,次回は,「実験方法」の書き方をレクチャーしてあげるよ.」
「藤堂先輩,ありがとうございます.じゃあ,緒言のドラフトを作成したらお見せするので,校閲をお願いしますね!私が入れた“美味しいコーヒー”をご馳走しますから...」
Part U 実験方法の書き方
「藤堂先輩,先日は緒言を見ていただき,ありがとうございました.おかげさまで何となく分かって来たので,ついでに「実験方法」も書いてみました.どうでしょうか?」
(しばらく内容を読んだ後)
「う〜ん...こりゃ,全然ダメだな!まあ,説明を受ける前に,積極的にトライした,という意欲は評価するけどね!
緒言では事実に基づいた研究背景と,そこで生じた問題点などを克服するための戦略を,それぞれ事実に基づいて,(大風呂敷を広げたり,盛ったりせずに)記述することが大切だと教えたと思うけど,「実験方法」では,更に厳格になって,余計な説明や考察などは述べずにただ淡々と,使った試薬類,器具,装置そして操作方法を述べることが肝心なんだ!
もう少し細かいことを言うと,試薬はまず,その論文の“主役”を筆頭に,優先順位の高いものを述べ,続いて有機溶媒,酸および塩基など一般試薬を,最後に精製水などの順に述べるのが一般的かな.その際,必要な項目としては,試薬名はもちろん,そのグレード,そして入手先の三点セットを忘れずに記載すること.ただし,ある程度,同じメーカーから購入したものはまとめた方が良い.その方が紙面の節約になるし,読者も何度も同じ試薬メーカー名を読むのは辟易するからね!それと,”何々の実験では此れ此れの試薬を用いた”,のように,本来は操作法にも関連する内容を記載する人もたまにいるけど,これは良くない!ダブった記述になってしまうからね.また特殊な器具を使った場合にはそれらも述べること.
なお,試薬の原体を記載した後に,標準溶液や緩衝液を記載することがあるけど,その時には,できる限り詳細に,読者がトレースできるようにその調製方法を記載するのが肝心だよ.これは次の”試料の前処理法や測定方法”や”機器の操作条件”の記載でも同じなんだ.
そうそう,試料の前処理法の記載も含めて,この「実験方法」では,時制は過去形で記載するのが一般的だよ.“既に終了した実験結果”の報告だからね.
それと,この実験方法で記載するのは,“当該論文で主張する成果”を導いた方法を記載するのであって,上手くいかなかった方法を述べる必要はないからね.というか,それは全く以って不必要だから.“なんで?”って思うかもしれないけど,これについては,また後で,「結果・考察」の書き方のところで詳しく教えてあげるよ.」
(早乙女; 「ほんとは今聞きたいけど・・・」 )
「次に,この「実験方法」で良く記載するものとしては,機器分析などの操作条件があるけど,これについては箇条書きにする場合と,本文中に書く場合がある.後者の場合には,ベタ書きが望ましい.その方が箇条書きにするよりも紙面の節約になるからね.または,本文中ではなく,“表にしてしまう”,という手もあるよ.ただ,これも他に図表が少ない場合は良いけど,そうでない場合にはできるだけ図表は重要性の高いものをセレクトすべきだね.もっとも最近では,紙面への掲載を少なくするために,重要性がそれほど高くないものは,"Supplementary Materials "としてネット上に掲載するやり方も普及してるんだ.
最後に,試料の抽出・クリーンアップなどの前処理を行った場合には,その手順を詳細に述べること.その際,そこに記載された内容だけ読んで,“誰もが十分に追試できる”,ということを意識して記載しなければいけないんだ.
では,実験方法の書き方をまとめると,
1. 主役の物質を筆頭に,使用した試薬類や器具・器材の名称,グレード,入手先(購入先)
2.試薬類の調製方法
3. 使用した装置類とその操作条件
4. 試料の前処理法(抽出,クリーンアップ,誘導体化方法など)
これらを順に記述すれば良いんだ.」
「なーんだ!意外とこの項目は簡単なんですね!」
「まあ,そうだね.ただ肝心なのは,先に述べたように,予断や感情的なものは一切省くこと,説明口調にはならないようにすること.しかし,本研究成果を導くに至った実験条件は漏れなく記載すること.次回は,“結果・考察の書き方”について説明してあげるよ.」
Part V 結果・考察の書き方
「さて,今日は一番難敵な「結果および考察」の書き方を話すとしよう.」
「えー!? たしかこの前は,“緒言が一番大切だ”,って言ってましたよね?」
「ああ・・・,たしかに緒言は論文を書く目的としては一番大切だけれど,読者が求めていること,知りたいことの大部分は,この「結果・考察」にあるのだから,執筆する側からすれば,自分の研究成果をどうすれば(どのように記述すれば)最も良く理解してもらえるか,ということを念頭において執筆する必要があるから,大切であり,且つ大変なんだよ.」
「(なんだか,狐につままれたみたい...)」
「では,覚悟して聞くように.まず,細かいことよりも,研究した成果を述べる科学論文としてのスタンスを説明しよう.ちょっと話はズレるけど,“研究する”という行為は,今まで誰も登頂したことのない山登りのようなものなんだ.つまり,頂上に行き着くまでの既成の道はもちろん,地図すらないようなもの,と思ってもらって良いよ.」
「でも,獣道くらいはあるんじゃないですか?」
「(・・・)まあ,あるかも知れないけど,獣は頂上を目指すために歩いているわけじゃあないからね.例えば,麓から頂上を目指して登っていく途中で,獣道に出くわして,それを伝って歩いて行ったら,結局,道に迷ったり,頂上とは関係ない方向に進んでしまったり,最悪,川に落ちてリタイア,なんてケースもあるからね!」
「たしかに・・・・(*_*)」
「もちろん,理想を言えば,実験開始前に,まずはしっかりと実験計画を立てて,それに従って実験を行えれば良いけど,実際には,山登りの例えのように,進むべき道を間違えたり,迷ったりすることが多いから,報告書(論文)を書く時には,遠回りせずに頂上にたどり着けるルートを提示する必要があるんだ.どのデータを残すか,どれを切り捨てるか,その辺りが考えどころで悩ましいところであり,また,論文としての価値を大きく発揮する重要な作業とも言えるんだよ.」
「う〜ん...なんだかイマイチ良く分からないですね...要するに,自分が苦労して登って来た山道を,次に登ってくる人が迷わずに最短で登って来られるように,余分なことは省いて,必要最小限な情報を提示する.そして,分かりやすくするために,実際の時系列にはとらわれずに,述べるってことですか?つまり,実際には道を間違えて川に落ちたとしても,そんなトラブルには見舞われなかったように,知らんぷりして,正しいルートだけを示せば良いと?」
「そういうこと!なんだ,分かっているじゃないか!山登りのたとえ話ばっかりしてると,実感が湧かないだろうから,少し具体的に話そう.
例えば,早乙女が学会で発表した麻薬成分の分析法は,これまでは報告が無かったんだよね?今回,それを早乙女が初めて構築したんだろうけど,方法を構築するに至る過程で,予想に反してうまくいかなかったり,方針(戦略)を変えたりしたことも多分あったよね!?
でも,だからって,その失敗の過程を時系列を追って記載しないよね!
また,そのうまくいかなかった中にも,後々役立ったこともあったかと思うけど,研究論文は成果報告書の意味合いが強いから,試行錯誤した中から,いわば,“良いとこどり”をするってことだよ.分析機器の測定条件にしろ,試料前処理にしろ,読者がトレースできる内容を盛り込むんだ.」
「ということは,分析条件の最適化を検討した際の,“最適では無かった内容”については記載しないで,決定した値や内容だけを述べれば良い,ってことですか?」
「いや,それはちがうよ.攻める戦略が失敗だった内容は載せる必要がないけど,“登頂”に必要だった戦略(方法論)を決定するに至った内容については,しっかりとそのエビデンスを示す必要があるんだ.
具体的に言うと,例えば,当初はGC/MSを用いる方法を戦略として立てたとして,感度や再現性がどうやっても思わしくなく,この“戦略”を諦めてLC/MSに変更したとしよう.そして,結果としてLCカラムや移動相条件を検討してうまくいったとした場合,戦略として失敗だったGC/MSについてはあえて詳しく述べる必要はないけど, LC/MS条件の最適化については,「なぜ,それを選択したのか?」というエビデンスを明確に示す必要はある,と言うことなんだよ.」
「なんとなくですが,少し分かって来ました.あと,時系列に左右されない,ってどういうことですか?」
「例えば,血液中から目的とする麻薬成分を抽出する溶媒を検討したとしよう.その際,目的成分の物性はもちろん,除タンパクも考慮して,有機溶媒としてアセトニトリルをベースとして,酸性,中性,塩基性条件で最適化を検討したとする.実際の実験では,取り敢えず手元にあった酢酸を最初に用いたところ,まずまずの結果が得られた.次に,中性,塩基性でも検討したところ,あまり良い結果が得られなかった.そこで酢酸酸性がベストかと思ったが,念のために除タンパク剤のトリクロル酢酸のような強酸を用いたところ,予想に反してあまり良い結果が得られなかった,としよう.このような場合,これらを時系列でベタ書きするのではなく,「強酸性,弱酸性,中性,塩基性条件下で検討したところ,弱酸性の場合に最も抽出率が良かった」,と検討した内容全体を高所から見下ろして,包括的に記述すれば良いんだよ.要するに,実際に実験を行った時系列に囚われることはないんだ.」
「それって,Wデータの捏造とか改ざんWに抵触しないんですか?」
「“存在しない実験データ”そのものを作ったわけでもなく,また,既存のデータを都合の良いように改ざんしたわけではないから,全く抵触しないね!
別の例でいうと,HPLCの移動相条件で,pH3~7の範囲で至適条件を検討するときに,初日にpH7と6のデータを取得して,翌日にpH4と3を,3日目にpH5だけを測定したとするよ.その場合,移動相pHの最適化の検討結果をグラフに示す時に,まさか3つの図を描くようなことは誰もしないよね?全てをまとめて,pH3~7の検討結果として示すよね? そして,それを“捏造”とは誰も言わないよね?」
「なーるほど!たしかにそうですね! ということは,実際に検討したけど,あまり良い結果が得られなかったような場合には,それは無視して記載しなくても良い,ってことですか?」
「ケースバイケースだね! 先に話した,“山登りの例”を思い出してごらん.早乙女は道に迷ったり,時には沢に落ちたりもして,ようやく苦労して頂上にたどり着いたわけで,それを後から登ってくる登山者に伝えるとした時,危険なルートをあえて示すことはしないよね!安全で,着実に,そして迷うことなく頂上にたどり着けるルートを提示する,ということだよ.もちろん,正しいルートのすぐ近くで誰もが迷ってしまうような危ないルートがあった場合,そちらに行く危険を避けさせるために,その“危険情報”を提示することはあるかもしれないけどね.」
「ふむふむ,要するに,料理で言えば,ステーキを最初に焼こうが,付け合わせを先に作ろうが,ともかく出来上がりの状態を想像して,お客さんが美味しいといって食べてくれるように,綺麗に盛り付ける,ってことですね?」
「まあ,ちょっと違う気もするけど,考え方としては悪くないかもね.
あと,論文として大切なのは,得られた成果の新規性と独創性だよ.もちろん,結果・考察で述べた内容のすべてが,これらを満たす,なんていう必要はない.個々の検討内容を示した上で,最終的に「緒言」で述べた目的を達成したか否か,そしてその達成したものの新規性と独創性がどれほどのものかを,明らかにする必要があるんだ.それが論文としての価値になるから.」
「論文を出すことの意義もそこにあるんですね!単なる研究報告書ではないんですね.なんだか,ハードルが高くなって,少し気後れしそうだけど,きっと,やり終えて無事に論文が通った時はさぞかし嬉しいものなんでしょうね!先輩,頑張ります!」
「“結果・考察”で研究成果を述べる際に最も有効かつ重要な表現方法が図表だよ.だからこの図表の作成にも気を使う必要があるけど,その説明はまた次回にしよう!」
Part W 図表の作成方法
「今日は,図表の作成方法について話そう.これを上手く使いこなせるかどうかで,その論文の価値も大きく左右されることもあるから,決して手抜きをしてはいけないよ.」
「それなら大丈夫です.既に学会発表したものがありますから,それをそのまま使っても良いんですよね?」
「もちろん学会発表で作成したものをそのまま使えることもあるけど,もう一度良く検討した方がいいよ.なぜなら,学会発表の図表は,発表者本人がその場で補足説明するから,多少不完全でも通用するけど,論文の場合には,そのようなサポート無しに,読者が読むだけで作者が意図したことを理解できるような図表作りをしなくてはならない,ってことなんだ.」
「う〜ん・・・,じゃあ,もう少し具体的に説明してもらえますか?」
「そうだな・・・.実は,これは結構,難しいことなんだよ.例えばグラフひとつをとってみても,棒グラフ,折れ線グラフ,円グラフなどいろいろあるだろ?得られた実験結果について,どのグラフを用いたら,最も正確に(誤って理解されることなく),且つ効果的に図が意味するところ,すなわち作者の意図が読者に伝わるか,を考える必要があるんだ.更に厄介なことに,同じ内容を示すのに,グラフではなく,表にした方がより効果的な場合もあるからね.これを習得するにはある程度の“場数”を踏まないとなかなか分からないかもね!」
「えぇっ!? じゃあ,結局のところ,先輩たちに相談したり,何度も経験するしかないってことですか?」
「まあ,そうだね!ただ,ある程度の原則論はあるから,それは理解しておいて損はないと思うよ.例えば,何かの最適条件の検討の時のように,あるパラメーターを変化させた際に,それに伴って測定値も変化,変動したような場合は,表で示すよりもグラフの方が良いね.ただし,最適値を示したい場合,その値がグラフの端にならないようにした方が良い.最適値と判断した値よりも低い方,または高い値の方が最適かもしれない,と言う疑問を読者に抱かせないためにね!
それと,その検討したパラメーターが連続性を有するような場合には,折れ線グラフが良いね.これに対して,パラメーターが飛び飛びの不連続な値しか取り得ないような時には,棒グラフの方が望ましいね.」
「連続性を有するパラメーターって,時間とか温度とかですよね?じゃあ,不連続って,例えばどう言う場合ですか?」
「分かりやすい例でいうと,1月から12月までの覚せい剤事犯の検挙件数のような場合を考えてごらん.被疑者の検挙自体は“毎日”行われていたとしても,月ごとに集積した場合,各月の間に連続性はないよね? または,生体試料分析で毛髪中の覚せい剤の残留量を測定する場合,毛根から一定の長さで切断してそれぞれの断片中の残留量を測定した場合を考えてごらん.実際には,覚せい剤は毛髪中に連続的に分布していたとしても,複数の断片に切断することによって,得られた測定値において“連続性”は失われるだろう? 」
「なーるほど!たしかにそれは“飛び飛び”ですね.」
「ただしそのようなデータでも,例えば前者の場合,過去5年間の同様なデータを算出して,年ごとのパターンを見たい場合とか,後者であれば複数の対象者から得られた同じようなデータを比較するために,毛根からの一定の長さに対する残留量の変動をパターンとして捉えて,パターン分析をするような場合には,折れ線グラフで示した方が目的に叶って分かりやすくなる場合もあるから,“飛び飛び=棒グラフ”,と短絡的に考えてはいけないよ.」
「(・・・),結局は“経験”で場数を踏むことなんですね?」
「それをサポートするためにも,論文をよく読んで,自分と同じような実験をしているデータが示されていたら,それを参考にする.要するに,“真似る”のが早道だね!
次に表について言うと,パラメーターが連続性だろうが不連続性だろうが,得られた値そのものを評価してもらうような場合は,表で示した方が良い.例えば,分析法バリデーションの結果のように真度や精度を示す場合だよ.」
「それは言われるまでもなく,しっかり理解していますよ.」
「ただし,これもケースバイケースで,図で示した方が良いこともあるんだ.」
「えぇっ,そんなこともあるんですか?」
「ああ.測定対象物質が数種類なら,もちろん表の方が好ましいけど,もし数十種類,更に100種類を超えるような場合だったらどうする?原稿はもちろん,仮に雑誌に掲載されたとしても1ページにはとても収まりきれないよね?それに読者もその値の評価がしづらいだろ?」
「たしかに...」
「そのような時には,例えば真度を棒グラフにして,精度をエラーバーで重ねて示すことで,得られたデータが良好か否かは全体を通して一目瞭然となるよね?もちろん,そこから読み取ることができる数値そのものは,表で示される有効数字の桁数とは比べるべくもないけどね.でも,著者が主張したいことは伝わるはずだよ.」
「図表を作る,って,本文を書くのと同じくらいか,それ以上に重要で大変なんですね.」
「それをわかってくれたなら,この“講義”もやってあげた甲斐があったと言うものだよ.
ああ,それと一つ言い忘れたけど,いくら読者に分かりやすく示すとは言え,同じ内容を図と表の二つで示すのはダメだからね.(たまにそういう投稿論文の査読をすることもあるけど...)
更に言えば,折れ線グラフで横一直線になるものや,同様に棒グラフで同じ高さの棒が横並びになるようなデータは,図表で示す必要はないからね.本文中で言及すれば十分だよ.(真っ直ぐな検量線を図として載せてくる投稿論文もたまに見かけるけどね...)」
「良く分かりました!それでは学会発表で作った図表を見直して,自分なりに論文に耐えるようなものにブラッシュアップしてみます.」
「OK,じゃあ今日はここまでとしよう.次回はいよいよ最終回だ.」
Part X 論文作成の総括
「さて,今日でこの講義の最終回だけど,これまでとはちょっと違う事を話すよ.論文を書く上でのテクニカル的なことはこれまでに話したけど,今回は総括的なことと,論文を側面から支えていることを説明しよう.」
「(何のことだか,サッパリ分からないけど・・・) 宜しくお願いしまーす.」
「“論文”って,そもそもどういうものかな?ちょっと哲学的なことを聞いているように思うかもしれないけど.」
「(余計分からなくなって来た...)
あのう・・・学術分野で,これまで知られていなかったことを解明したり,今までに無かった新しい技術や物を開発,発明したりすること,要するに社会に役立つような成果が得られた時に,それを広く社会に知らせるための手段,だと思うんですけど...違ってますか?」
「まあ,基本的にはそれで合ってるよ.では,論文って,学術的な成果がなければ載せる価値がないと思うかい?」
「う?ん...そう言われると,難しいですね.自然科学にしろ社会科学にしろ,学術的な成果が求められることが多いような気がしますけど...?」
「話はちょっと飛ぶけど,物理学者の寺田寅彦って知ってるかい?」
「寺田???,いいえ,全く知りません.」
「まあ,そうだろうね・・・.でも,寺田寅彦の名言,『天災は忘れた頃にやってくる』は,聞いたことがあるだろう?」
「あっ,それなら知ってます...でも,作者までは知りませんでした.」
「寺田寅彦は著名な物理学者であると同時に,とかく難解になりがちな物理現象を平易な表現で分かりやすく説明することに長けていたんだ.中でも有名な“茶碗の湯”という随筆がある.これは湯呑茶碗に入れたお茶から立ち上る湯気を通して,自然界の物理現象を分かりやすく説明したものなんだよ.興味深い内容をひとつ紹介しよう!
『湯気に日光をあてながら,黒い布をその向うに置いて,透かして見ると,湯気の中に虹のような赤や青の色がついているのが観察できる.この現象は小水滴による光の回折によるもので,その色を見ることで,水滴の大体の大きさが分る.』という記載がある.
これは,霧滴の粒の大きさを計測可能とする方法で,これにより霧を形成する水滴の大体の大きさが分るんだ.実は,原子物理学の分野では有名な「ウィルソン霧箱」を作ったチャールズ・ウィルソンは,この現象を利用して,その霧箱の中の霧の滴しずくの大きさを推定したんだ.「ウィルソン霧箱」の発明がなかったならば,原子物理学は,現在の進歩をなし得なかったと言う人もいる.そのことを踏まえて考えると,茶碗の湯から出る湯気についての記載は,一見するとなんら社会に還元するような内容ではないように思われるけど,その物理現象を説明した寺田の功績は案外に重要な意味をもっているかもしれない,ということなんだ.
何が言いたいかというと,本来,科学論文というものの価値は,その時代の流行や世間の注目度とは関係なく評価されるべきもの,ということを若手研究者の早乙女にも分かってほしいんだよ
論文を書くという行為は,決して,地位や名声を得るためではなく,純粋に学術的に自然科学の未知な現象を解明するために行ってほしい.それと,論文を書くときに気を付けなければならないのは,難しい内容をできるだけ分かりやすく書くように心がけるということ.まれに,大した内容でもないのに,ことさら“さも重要なこと”のように大風呂敷を広げたり,逆にあえて分かりにくく(難しく)書いたような論文を見ることもあるけど,それを真似してはいけないよ.
最後の最後でなんだかだいぶ説教じみたことばかり話したけど,若手の早乙女には,これからもっと研究をして論文もできるだけ多く書いてもらいたいんだ.
またまた山登りに例えると,最初は小さな低い山でもいいから“自分の力試しと思って登頂にチャレンジ”し,それが成功したら,次に,もう少し高い山に・・・というように自分自身をブラッシュアップするために,チャレンジを続けることが大切だよ.『若手研究者のための初めての科学論文執筆』の講義は,以上で終わりにするよ!」
「先輩,いろいろとご教授してくださり,本当にありがとうございました!」
Part Y 番外編(英語論文の書き方)
(一年後,無事に早乙女の論文も受理され,掲載が決定した.それからしばらくして,今度は英語で論文を書こうと思いたち,またまた藤堂に相談に行った.すると・・・)
「論文としての構成・内容については,基本的には和文論文と一緒だよ.問題なのは“英文の作成方法”だね!これに関しては,それを説明する人によって主張が異なることもある.例えば,“英語論文を作成するには,日本語で論文の下書きを書いてから,それを英訳するようなことはせずに,最初から英語で文章を作成すべし・・・”というようなことを言う御仁もおられるが,それは,帰国子女のようにもともと英語を自由に使いこなせる人の場合だよ.普通の日本人の英語力ではそれはかなり無理があるよ.それよりも,まずは,日本語でしっかりと“論旨”の通った論文を作成するべきなんだ.その際,文体(能動態,受動態)はもちろん,修飾語と被修飾語,重文や複文など,日本語としての読み易さもしっかりと考慮して,そのままで和文誌に投稿できるくらいに推敲を重ねてから,英文作成に取り掛かる.もちろん,“その和文を直訳せよ・・・”と言っているのではない.ただ,“母国語である日本語で論旨の通らない文章を英文にしたら(英訳したら),論旨が通った・・・”などというばかげた話は間違っても起こらない.考えてみたまえ.自然界において何もしないで放置していたらエントロピーが小さくなる?ようなことだよ.これは熱力学の第2法則に反することで,絶対にありえないことだよ.だから,初めて英語論文を書くようなときには,まずは,しっかりとした日本語の論文を作成した方が良いんだ.」
「たしかにそうですね! 取りあえず稚拙な英文を書いても,それを英文校閲会社で直してもらうと“良い英文”になって戻ってくるので,ついつい日本語を疎かにしてしまいがちですが,それではいけないんですね!これからは気を付けて,もっと日本語論文を大切にします.」
【エピローグ】
さて,研究者としては“若葉マーク”の早乙女も藤堂の指導の下,どうにか和文論文を執筆することができたので,これで「初めての科学論文」の講義はとりあえず幕を閉じたいと思います.
今回の“物語”は,冒頭でもお話ししたように,まだ論文を一度も書いたことがない若手の研究者がこれを読んで,論文投稿に対するハードルが少しでも下がって,“論文を書いてみよう!”という意欲が湧いてこられたのなら,たいへんうれしい限りです.
法科学技術学会誌は,研究論文を発表してもらうことによって,執筆者本人だけではなく,読者である構成会員と学会誌全体が更なるレベルアップをしていくことにつながると信じております.編集委員会としても,若手研究者の積極的な投稿をお待ちしております.
文責;日本法科学技術学会誌 編集委員長 斉藤貢一
イラスト作成;藤本友紀(星薬科大学)
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